死後の「デジタル遺産」…の記事に [にゅーす]
この記事には、次のように述べている部分もある。
「(英歌手)故エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)さんが亡くなる最後の月に書いたツイートは価値があるとあなたが思っているのに、それが消されてしまったらどうでしょう?」とバイヤー教授は問う。さらに、収益を生んでいたブログなど経済的な価値があるアカウントもある。
死については、
誰にとっても、人が生まれたとき約束されるもの とも言えることなのだが、
生きている今は、死について思うことはあったとしても、
多くの人は、自分の死の後のことに 特にブログやホームページという遺産に関して、
遺すということを考えていないのではないかな とも思う。
それにしても、次のように記事にあることも見逃せない。
各プロバイダーやSNSの対応はまちまちだ。フェイスブックでは遺族が故人のアカウントを消去したり、「追悼」ページを作ったりすることができる。グーグル(Google)のユーザー同意書では、電子メールサービス「Gメール(Gmail)」の中身を「故人となったユーザーの正式な代理人」に提供する「こともまれにある」と記されている。ヤフーでは、裁判所命令がなければアカウントにはアクセスできない。
死は、通常は、いつどんなときやってくるかわからない。
万一ではあっても、
この記事を書いた 次の瞬間には、いつ訪れるとも限らないのだ(@_@;)
余命を宣告された方以外では、生きている確率の方が高いのかもしれないけど…
そんなこと思ったら、
少し部屋の中とか綺麗に整理しておきたくなってきた^^;
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