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「礼節ある民族」の行き先… [にゅーす]



円(えん)は、日本の通貨単位。通貨記号は¥(円記号)、ISO 4217の通貨コードはJPY。旧字体では圓、ローマ字ではYenと表記する。

人民元(じんみんげん)は、中華人民共和国の通貨で日本における呼称。中国では人民元とは呼んだり表記せず、人民幣(じんみんへい、人民币、Rénmínbì、レンミンビ、RMB)とあらわされる。ISO 4217でのコードはCNY、¥記号を用いる。

アメリカ合衆国ドルは、その信頼性からしばしばアメリカ合衆国の国外でも使われ、特に輸出入など国際的な商取引の決済に多く使用されている基軸通貨である。
アメリカ合衆国ドルの記号は、ドル記号 ($) である。ISO 4217では、アメリカ合衆国ドルのコードはUSDである。1ドルは、100セントである。

Yahoo! ファイナンスの23日の為替情報によれば、次のようになっている。
(それぞれの通貨に対して)

人民元 12.258065 円/1元
米ドル 78.280000 円/1ドル
ユーロ 94.930156 円/1ユーロ
英ポンド 122.022864 円/1ポンド

これまで、ドルを介していた中国元も、
日本の円と中国の人民元を直接交換する為替取引が東京、上海の両外国為替市場で、2012年6月に始まったのでした ね。

昨今の経済関係でも、人民元の変動があったりする場合には大変大きな影響が生じることにもなります。

人民元の動向は、中国の経済成長に基づいている とも聞きますが、諸外国からの投資による部分も多くあるため、基盤としての中国経済はまだ弱いとの指摘もあるようです。


まぁ、いまさらではありますが、日本人とは中国などアジア諸国の影響を古くから受けてきた民族なんですね。
もともと中国からの言葉や文化、伝統、礼節なども、中国からやってきた…。
中国の春秋戦国時代に活躍した諸子百家と呼ばれる、孟子や孔子などの思想にも、日本人は数多くの影響を与えられていますね。
この頃の中国という国には、学問や思想でも次々と新しい考えが生まれてくる環境があったのかもしれません。機会があればその能力をうまく活用して出世できた頃だったようです。

“戦国期に諸子の輩出した原因としては、各国君主が混迷の時代を乗り切るための方策を求めていたことや、それに伴う活発な精神を基調とする下剋上(げこくじょう)の風潮などをあげることができる。”
※ ↑ Yahoo!百科事典トップ > 哲学・宗教 > 中国思想 > 事項[諸子百家(しょしひゃっか)]より

日本人が中国…というと、どうやら、先史時代やこの頃のことが頭に浮かぶ方が多い というのは、哲学・思想が日本人に与えた影響が大きい面もあったのかもしれません。

ところが、現在の中国というのは、その古代やその春秋戦国時代のものがそのまま引き継がれているわけではなくて、そういう意味では、古代の中国を全てと考えることは非常に危険な誤りを犯すことになるそうです。

儒教といえば、孔子を始祖とする思考・信仰の体系に繋がるものであり、もともと中国という地において漢代に儒教が国教となったせいもあるのか、広がりを見せた教えだったようです。隣国の韓国への浸透、さらに日本へと伝わってくる。

韓国での儒教文化というのでしょうか?
両親をはじめ年老いた方をとても大事にする、というのはよく聞く話で、言葉も、それに対応して目上の人には必ず尊敬語を使う というのですが、初対面というのでも相手の方の年齢というのが頭の中にあるものだから?韓国ではどうしても年を知ろうとするらしいです。
年齢を聞くことで、その方が目上であるのか、あるいは、対等に話せる年齢なのか知ることで、どこか安心というのか、どんなふうに話せる相手なのか?ってことがあるんだろうと思います。

確か…文化大革命のとき、この礼儀というのが、中国においては、「四旧打破」(四旧とは,旧思想,旧文化,旧風俗,旧習慣を指す)ということで、徹底的に破壊されることになったんです。

まぁ、その思想・教えというものの影響を極力排除しようとした結果なのでしょう。

よく、“一つの中国”ということが言われますが、いろいろなことがあり、まぁ、内戦と言うか立場が逆転して今の中国というのが存在してるわけで、そういう現在の中国は比較的新しいわけです。

日本の歴史を思えば、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代へと時代を通して、アジア大陸から多くのことが伝わってきました。

漢字をはじめ、文化や儀礼といったものまで… 日本の各地に残る遺跡には、避けることのできないアジア大陸からの影響がどこかしら見受けられるのも確かなのです。

「礼節ある民族」…その社会に応じて支配する人たちはもとより、茶道とか華道とか形を変えながらも、昔から家という日常の中にも儀礼というものが存在してきたのでしょうね。

東日本大震災のときの様子では、
・暴動も店舗などからの商品の略奪もない
・給水車などに整然と並ぶ人々の姿
・各社からお茶やお菓子はじめ生活必需品の無償配布
…ホント様々な行動が、日本以外の国の方からすると、「礼節ある民族」であり、とても奇異な映像に見えたのかもしれません。

実は…、
被災地では、盗難もあったようですし(@_@;)、義援金もしっかり受け取って どこかで遊んでいたという報告もあったり、詐欺行為が増えたり…といろんなことがあり、混乱した環境の中で窃盗を働く、正に、“火事場泥棒”みたいなことをして、利益を得る…
そんな、まぁ、どこにもこうした、困った一部の人たちがいることは確かなようです。


まだまだ多くの方が苦しんでいる中ではあっても、随分と時間が経ち、東日本大震災のときのようなモラルある姿はいつしか変貌してしまって…いるのでしょう。

本来は、「礼節ある民族」であるのに、そのことを疎かにして、
常識を非常識にするのが “かっこよく” 映り、汚い言葉や行動、あるいはファッションでさえも “オレ流” とアピールする。
欧米流のワークスタイルを参考にするのは良いとして…何でもかんでも真似をするというのは、どうもいただけない。
日本は日本独自の良さもあったのが…、コストや効率化を最優先するあまり、どこかおかしくなってる気がする。


「礼節ある民族」はいったいどこへ行ってしまったのでしょう…

…そんなことを感じるようになったのは、生きてきた経験のせいでしょうか?(汗)


参考:Wikipedia、 わが外交の近況 昭和43年度(第13号) 外務省、Yahoo!百科事典など…



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